天才のらくがき

ぱろでぃ  よおたろおが往く   極楽編

作   此場量多漏

 

前書き

地球広しと言えども、この世とあの世を往還出来るのはよおたろお位のものである。

そう、誰もあの世がどういうものか知らない、修行僧の問答でも往還した者はいない故、不明とされているのだ。

近々あなたもいくであろうあの世を、よおたろおの体験を通して知っておいていただければ、終活というか、それなりに心の準備が出来るのではないか。

ただし、これはよおたろおならではの体験であり、あなたも同じとは保証の限りではない。

(これはフィクションであり、登場人物は多分、実在しないと思いますが・・・)

 

旅立ち

と ある昼下がり、よおたろおはあちらへ旅立った。

久しぶりに彼女(前作で紹介した色白で長い髪の白い着物の)に逢おうか、ろくな準備もしないままにひば壱号(制式名称ムラ式木製矩形有蓋空間移動体)は五十億光年の彼方へと向かった。

最近といえば、いつだったっけ、婆さんに呼び付けられて説教を喰らってからはしばらく遠のいていたのだが、今回は、婆さんに見つかるリスクなど眼中に無かった。

何がこれほどまでによおたろおをかりたてるのか?野生の本能か?盛りのついた犬猫のように?

否、否である。犬猫の場合は種の保存のための崇高な闘いである。それにひきかえ、よおたろおの行動は、

ただのスケベ心でしかあるまい。

 

何故、極楽なのか?

ここで、読者諸氏は大いなる疑問を持たれるでありましょう。

何故、よおたろおが極楽へ往けるのか、地獄ではないのか?

無理もない。よおたろおは普段の立居振舞いから、往々にしてそう思われ勝ちだが、彼は決して悪人ではない。顔と口が悪いだけである。

また、仏教のモットーは慈悲であり、寛大である、歎異抄にもある通り、善人をして、ましてや悪人は・・これでいいのだっけ?

お釈迦様にも極楽を管理・運営していく上での判断があるのだ。

娑婆の少子高齢化はひいては極楽の問題でもある。ましてや娑婆では凶悪犯罪が多発し、政治家も官僚も

悪さをこいて地獄へ回されるものが多い、先々を考えればよおたろおレベルはこちらで引き受けた方がよかろう・・・

そこは寛大さというより、妥協のなすところであった。

 

よおたろお失恋す

何とかたどり着いた。

久しぶりの彼女はというと・・・な~んと、別な男と出来ていたのだ。

「だって、よお様はあまりにご無沙汰なんだもん」彼女の言い訳によおたろおは言葉がなかった。

新カレは山○惠○似の男前、どう見てもよおたろおに勝ち目はないのだが、

「娑婆と極楽はあまりにも離れている。二股かけるのは簡単じゃないわな~、ひば壱号を改良してもっと高速化すれば・・・」真の敗因が理解出来ず、未練たらたらのよおたろおであった。

 

蓮池の辺で黄昏ていたよおたろおはお釈迦様に声をかけられた。

長旅の疲れと失恋の痛手がよおたろおの口を一層重くさせたが、ぼそぼそと一部始終を話した。

最も、よおたろおの嘘混ぜの言い訳などお釈迦様は全てお見通しではあったが・・・

「まあ、娑婆でも極楽でも思い通りにならぬこともあろうぞ、折角来たのじゃ、ゆっくりしていくがよい」

これが犬猫の世界ならば恋のバトルに敗れて心身ともに傷ついても誰も慰めてもくれまい。

ましてや、かみさんに隠れての旅である、お釈迦様の優しさに、よおたろおは涙した。

 

まさに極楽

まずは風呂に入れられた。それはひどいものだった、湯を替え、洗剤を替え、そこそこ汚れは落ちた。

ひば灰が効いた。さすがに塩蔵若布の湯通しのように色鮮やかとはいかなかった。

お釈迦様の行きつけのお店、入り口の両側には金剛力士の阿と吽が立ち、セキュリティも万全であろう、内装も接待する天女も超一流、本来ならよおたろおなどの入れる所ではない。

羽衣というのか、薄地の衣をまとった清楚かつ妖艶な天女にすすめられるままに呑んだ、呑んだ、酒泉も養老の瀧も涸れるほどに呑んだ。五十億光年もの旅を飲まず喰わずであった身には砂地に水が滲みこまれるように、甘露がよおたろおを潤した。おつまみは山海の珍味がずらり、しょっぱいのが好みのよおたろおには今ひとつ物足りなさがあったが、まあ、とにかく呑めればいい方だから・・・

お釈迦様も家族を捨て、骨皮になるような厳しい修行のリバウンドからか、日々の激務のストレスか、

時々ここでお楽しみのようである。さすがに高貴なお方である、酒の飲み方も品がある。

 

で、よおたろおはどの位、濃厚な接待を受けたのか?

読者諸氏の最大の関心事でありましょうが・・関係者が訴追を受ける恐れがありますので、ご容赦を・・

言えるのは、よおたろおが「これぞ極楽ぢゃ!」と、歓喜の声を連発していたということです。

 

翌日は遠来の客として、蓮池ステージで紹介された、娑婆のはやり歌などを・・とリクエストされ、

もともと軽いよおたろおはその気になった。ここなら採点も、冷ややかな視線もない。

天女の奏でる楽曲に合わて(つもりで)よおたろおのダミ声が極楽中に響き渡った。蓮池は波立った。

それは漣などというようなヤワなものではなかった。池の周囲に集っていたものは一斉に避難した。

 

極楽の医療制度

連日・連夜、さすがの美酒も度が過ぎては体に障る。ついに甕を壊して、しばらく薬師様へ通った。

待合室は高齢者でそれなりに混んでいた。知った顔に会った、幸い、婆さんは老人クラブの慰安旅行でしばらく留守とのことであった。わざわざ極楽から地獄巡りツアーなんてするのかねぇ。

診療・施薬は勿論ただである、薬は苦かった、お口直しにまた呑んだ。

本来、極楽は争いや飢え苦しみの無い世界と教えられてきたが、その実情は違っていた。

創設当初はそれなりに悟りを得たものばかりが、わずかばかりの食餌でも満たされ、不足を知らずに過ごしていたものだが、最近は娑婆の未練を引きずったまま極楽へ来るものも多い。

結果、極楽も俗化して、貪と欲がはびこっているのが現状である。

医療にしても、極楽では年をとらないとはいえ、娑婆の高齢化の影響で病の持ち込みもある。

「薬師は大変なのじゃよ」お釈迦様の嘆きを馬の耳に、相変わらず酒は進んだ。

 

 

「社長!お客さんですよ、起きて」

「ん?あっ」

慌てて口元を拭うよおたろおであった。